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ネコハウス

気付けば、生活の中心が猫でした。

お気に入りだけの暮らしの、残念なこと。

こんばんは、ヤマネコです。

数日前のこと、食器を載せたトレイをリビングのテーブルに置き、ちょっとよそ見をしていたら、そのトレイに猫がジャンプ。てこの原理(シーソー)で食器が宙に浮き、そのまま落下していきました。

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猫に怒っても仕方ないので(叫んでしまいましたが…)色々想像できたはずのことをしなかった自分にため息が出ました。

食器は何度かの見直しを経て、今は「毎日、ないし週に何度か使うものだけ」をメインに残してあります。イベント用や、お菓子用の器などはすこし間が空いてしまうこともありますが、その分市販のデザートなどを買うことが少ないので今は良いことに。手持ちの食器の大半は、過去の記事でご紹介したとおりです。

この後、カレー皿とランチプレートを手放し、イッタラの23cmプレートを足しました。

今回は以前の記事に載せたスタッキングプレートの一枚と、写真にはない長年愛用してきたマグカップのひとつが大破。既に処分済みです。気に入っていたからこそショックも大きく、棚の中の定位置がポカンと空いたままなのを見て、何度も悲しくなります。でも、ふと「これでよかったのかもしれない」と思いました。


以前は愛用品が割れたら、確かに悲しいけれど、いくらでも他のを使えばいいじゃない?とすぐに立ち直っていました。時には新品の食器を箱から出して「ちょうどいいから使おう」なんて浮かれることも…そういう暮らし方も、あるのだろうと思います。何よりいちいち落ち込まずに気楽でしたし、悪い印象ばかりではありません。

でも今回、すぐに用意できる代わりの食器はありません。今もひとつ足りないままで、お茶の用意をするたびなんだか落ち込みがぶり返してくるけれど…ああ、ちゃんと大切に思っていたんだなと気づきました。


割ってしまった後に「大切にしてた」なんて矛盾しているようですが、私自身の迂闊さを棚に上げ「いくらでも代わりがある」と考えてしまうより、今の自分のほうが好きです。これが他人や猫が割った場合なら「代わりがある」でいいけれど、自分の不注意は、落ち込み、反省するくらいでちょうどいい。


お気に入りがあるということは、物への執着があることかもしれません。それでも私はやっぱり、好きなものに囲まれていたいです。そのほうが毎日を楽しく過ごせるし、「別のが欲しい」と目移りしない気持ちにもつながるから。それで結果的に持ち物が減る(厳選される)のであれば、今はその考え方を大切にしていきます。


トラコミュ。


過去のスネこ。

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先日、ご質問頂いたのですが、時々出てくる子猫の写真は、「いつかの過去」のものです。私の気持ちの問題から「出会い」と「別れ」については記事にしていません。実際には写真で猫たちの増減に気づかれる方もいらっしゃるかと思いますが「まあ皆かわいいね」(?)と、さらっと流して頂けますと幸いです^^